誕生日の話<エッセイ>
2018.1.30
今年の誕生日はいつもと違っていた。
誕生日を迎える1ヶ月程前から、「生まれ変わる」ような体の奥底からみなぎる生命力を感じた。
身に覚えのある感覚だった。
10年前、看護学校を卒業し上京した時も、ずっと蓋をしてきたことから解き放たれ、「これからは私のしたいことをする!」そう思って、仕事も楽しかったし、絵の学校も通った。音楽にワクワクしてクラブやライブにも繰り出した。一人で海外を旅したり、思いついたことをとにかくやる、エネルギーがあった。
自分が何者であるか探していた。その分、自分の凡人さを思い知ることも増えてきた。
時が経つとともに、冷静になる自分がいた。
今年の誕生日前後はいつもと違っていた。それは誕生日を過ぎた後にも続いた。みなぎる、エネルギー。
何年も一人で映画館に行っていなかったけど、ラジオで紹介された映画がどうしても気になって、桜三里を超えてレイトショーを観に行った。(後味悪いサスペンス映画で、帰りの桜三里が怖かった)
その後、ライブにも行ったり、まるで心は10年前のような、何かが始まるような不思議な感覚が続いた。
そんな話を主人にすると、「俺も同じなんだよね。バンドしてた時みたいに。」という。
いつも一緒にいるから共鳴するのか、主人も同じような感覚でいたのだ。
それなのに!
誕生日当日。喧嘩をしたのだ。
今までに一番の喧嘩だ。信頼し合っていると思っていたのに!こんなに、心からエネルギーがみなぎる気分だったのに!
水を差された!
仕事でも家庭でも四六時中、寝ても醒めても、隣にいる私たち。
喧嘩の理由は割愛するが、よりにもよって誕生日に。予定していた焼肉も、味が感じられず、子どもがプレゼントにくれたラミーも(ラムレーズンのチョコ。私が一番喜ぶ食べ物だと思っている)なんだか悲しくなってくる。
いつもは喧嘩してもすぐに後腐れなく元通りなのに。5日程、よそよそしく悲しい日々が続いた。
そんな私たちの5日間戦争のある日、「BAIKAさんが土曜日来てって言ってる」と主人。
金曜日「明日、BAIKAさんに呼ばれてる日だから」と。
土曜日夕方、些細なことがきっかけで喧嘩が、というか、私の悲しみの琴線に触れた。感情が溢れてきた。ギャンギャン言った。
そうこうしていると、「あぁ、BAIKAさんに間に合わない!」と主人。「BAIKAさんは何の用なん?!一人で行ってきてや!」と私。「ダメなんだよ!一緒に来てって言ってた!」と。
険悪なムードで二人で車に乗り込みBAIKAさんに到着する。
世間話。「ところで、用は‥?」私が尋ねると「じゃあ、お願いします。1時間後くらいに迎えに来るんで」と主人。
その瞬間に、すべて理解できた。涙が溢れてきた。主人を睨んだ。(人前で私を泣かすな)と。
◯今更ながらBAIKAさんとは、私たちの住まいの丹原町の同じ町内にある、アロマサロン。ご自宅を改装されて、凛とした佇まいとセンスが美しく、アロマトリートメントがまさに極上なのです◯
なんだか怒りだか悲しみだか喜びだかわけのわからない感情のまま、ベッドに横になり、わけのわからないままアロマトリートメントを受ける。
わけのわからないまま、癒されていく。BAIKAさん、ありがとう。巻き込んでごめんなさい。
わけがだいたいわかった頃に、迎えに来た主人は「じゃあ、今から走ってく」と走り出す。
なんか、すごい人だな。
そしてこのサプライズは、誕生日当日にしたかったそうなのだが、予約が取れなかったそうな。
こうして私たちの5日間戦争は幕を閉じたのだった。
考えてみると、この喧嘩も、自分を見つめ直すきっかけになった。それを含めての「生まれ変わる」ということだったのかもしれない。
まだまだ私の人生は続くのであった。